2016年12月20日火曜日

忘れられない思い出3

 昔のことは沢山忘れました。どんどん忘れないと次のことを覚えられない、記憶力は結構プアです。小中学校の同級生なんかほとんど覚えていません。高校の同級生も顔見ても名前が出てこないし、どういう繋がりだったかもあやふやです。でも、いくつになっても忘れられないこともあります。

 次はいきなり受験に時間が飛びます。これまた年齢がばれますが、共通一次試験での出来事。とある教科でのこと、試験官がおきまりのセリフである『受験番号のマークを確認して下さい。』と言っています。分かってる、そんなのは基本中の基本、こっちは答案に大忙しさ。ようやく解答が終わり、おっといけねえ、見直ししなくちゃ。答えを確認して、マークシートは前後にズレると大変なことになるからズレも無いな。この間にも試験官は先ほどのおきまりのセリフを繰り返します。『受験番号のマークを確認して下さい。』おや、何だかしつこいなこの試験官。そーか、きっと誰かが書き忘れているんだな、個人に注意はできないから全体へ注意して気付くよう促しているんだ、しかし受験番号マークし忘れるのって、かなりドジだよ。と思いながら時計を見ると後10分、よしもう1回見直すかな。と、マークシートの右上を見た瞬間、あ!受験番号がマークされていない。オ、オレか!マークし忘れていたドジは。慌てて受験番号を塗りつぶして顔を上げた瞬間、試験官と視線が合い、試験官の目が優しく笑いました。きっと、ようやく気付いてくれたか、試験終了に間に合ってよかった、という思いだったのでしょう。本当に優しい目でした。
最後に『終了まであとわずかです。受験番号の間違いが無いか今一度確認して下さい。』
と優しく言って全体に最後の注意を与え試験終了。やさしい試験官のおかげで、その教科は0点にならずに済み無事大学に合格できました。

 最近、KohNoが『オラ最近テストで見直しをするようになったら算数とか100点取れるようになってきたんだよ。』と言っているのでこう答えました。『そうだね、キミは早とちりが多いから見直しは大切だよね。ところで見直しも大事だけどもっと大事なのは名前を書くことなのは知ってる?満点でも名前書き忘れたら0点だからね。』
『え、そんなの大バカじゃん。』『そうだね、大バカだよね。』

忘れられない思い出2

 昔のことは沢山忘れました。どんどん忘れないと次のことを覚えられない、記憶力は結構プアです。小中学校の同級生なんかほとんど覚えていません。高校の同級生も顔見ても名前が出てこないし、どういう繋がりだったかもあやふやです。でも、いくつになっても忘れられないこともあります。

 次はやはり子供の頃。確かもう小学生になっていました。当時の藤沢はど田舎で家からそう遠くないところに田んぼがありました。冬になると蓮華畑になり、そこでよく遊びました。ある晩秋の日、田んぼの中で遊んでいたMaSoniはススキについたとあるものを発見しました。何かの巣です。大人の拳位の大きさで色と形は蜂の巣みたいですが8角形の穴はなく何の巣だかわかりません。と、誰かが言いました。スゲー、コレってカマキリの巣だぜ。

 本当にカマキリの巣かどうか知りたかったMaSoniはススキごとその巣を家に持ち帰りました。そして花瓶に立てリビングに置いて巣立ちの日を待ちました。本当にカマキリが生まれるかな?しばらくして春も近づき巣の存在もすっかり忘れていたある日、とうとう巣から子カマキリ達が姿を現しました。やったー、やっぱりカマキリの巣だ。でも、、、、、
それからが大変。出てきた子カマキリは数100匹、リビングが子カマキリだらけになり母親はヒステリー状態。急いでカマキリの巣を外に出し、家中の子カマキリ捜索をして天井にいる子カマキリまで回収して外に出しました。

 しかし外はまだ北風が厳しく吹いています。おそらく暖かい室内で育ったため早くに生まれてきてしまったのでしょう、段ボールとラグで保温したものの子カマキリ達は全滅してしまいました。残念。合掌。

忘れられない思い出

 昔のことは沢山忘れました。どんどん忘れないと次のことを覚えられない、記憶力は結構プアです。小中学校の同級生なんかほとんど覚えていません。高校の同級生も顔見ても名前が出てこないし、どういう繋がりだったかもあやふやです。でも、いくつになっても忘れられないこともあります。

 ひとつは大阪万博で迷子になったこと。年齢がばれますが、はるばる東京から行ってきました。でも子供の頃のMaSoniは迷子の常連。池袋で親が切符を買っている間に行方不明となりいくら探してもみつからず、困り果てて親が交番に行ったら交番でお巡りさん相手に楽しそうにお話ししてた、なんてことも日常茶飯事。そして大阪万博でもやりました。オシッコに行きたくなったMaSoniはお父さんに早くトイレ行こうよと急かします。トイレを探している親。そして途中からトイレはあっちだよと勝手にうろちょろし始めたMaSoni。当然迷子になり泣きだしたMaSoniは迷子センターへ。迷子センターでは名前を聞かれ名札を付けられます。6歳だったけど5歳として入場しているので5歳を名乗ります。名札の他には絵が変わるバッジをもらい名札と一緒に胸につけました。見る角度で絵が変わるキラキラバッジで絵はひとつはチューリップでもうひとつは何だっけ?あ!トイレを探してたんだ、オシッコちびっちゃった、トイレトイレ。トイレでスッキリして絵本を読んでいたら名前を呼ばれたMaSoni、返事をしたらTVモニターの前に連れて行かれそこにはお父さんの姿が映っているではありませんか。なんと、インフォメーションと迷子センターがTV電話で結ばれていたんです。『あ!おとうさん、どこで何しているの?』『ばか、お前こそどこ行っていたんだ』今だったら当たり前の光景ですが、大阪万博の時代にTV電話で通話とはすごいことです。月の石よりずっとスゴイ。迷子とその家族だけが体験できる秘密アトラクションです。ついでにキラキラバッジも貰えて得した気分。なので今でもMaSoniは自慢してます、『おとうさん、あの時TV電話を体験できたのは俺が迷子になったおかげだからね、感謝してよ』