2017年11月21日火曜日

靴底

 最近KohNoはTVの陸王にはまっている。夏に見た映画「関ヶ原」で家康役だった役所広司が出演しているので気になっていたらしいのだが、MaSoniが録画していたのを発見して一緒に見始めて楽しんでいる。陸王ではミッドフット着地という走法が怪我をしにくい走法として紹介されているが、ネットで調べてみると走り方は着地の仕方でヒールストライク、ミッドフット着地、フォアフット着地の3種類があるらしい。日本人の多くはヒールストライク、かかとから着地をするが脚が伸びきってしまうので膝に負担がかかる、ミッドフット着地は膝を曲げて脚全体で着地するので衝撃を吸収しやすく膝の負担が少ない、そしてフォアフットは土踏まずより前の部分から着地する走り方で怪我しにくく脚全体をバネのように使えるというもの。裸足だとフォアフット着地になるそうで、アフリカのランナー達はフォアフット着地が多いそうだ。
 さてKohNoに話を戻すが、KohNoの靴は3ヶ月しか保たない。まさにフォアフット部分があっという間にすり減ってしまうのだ。靴は子供の脚の成長にはしっかりした靴が良いと近所のこだわり靴屋さんで買っているのだが、お値段がなかなかで消費税込みで2万円弱。これが3ヶ月毎に飛んでいくのが財布に痛々しすぎて困っていたのだが、靴底のすり減り方で歩き方の良し悪しを見ている靴屋さんはKohNoの歩き方が悪いとは言わず、うーんと言うだけ。しかし陸王を見てKohNoの歩き方走り方が悪い訳ではなく、むしろ裸足に近い自然な着地方法だとわかり納得。そういえば歩くようになってからピョンピョンとバネのようによく跳ねていたけど、まさにバネ走法だったわけでむしろ良いすり減り方だったようだ。
 ということで、靴底が前方からすり減るのは良い傾向。ただしお財布の痛々しさは全然解決せず。お財布にはこだわりシューズだけでなく普通のジュニアシューズも履かせることでごまかすしか無い。

2017年11月13日月曜日

再び上田へ その3 そして松本


 最終日は国宝松本城見物です。チェックアウト後はお城近くの駐車場に移動しましたが満車。大手門駐車場へ行くようにと案内されましたが、実はこれが正解。大手門方面から歩く(といっても5分だけ)方と途中に大名町大手門井戸に立ち寄れ、しかも正面からの入場なので登城感も盛り上がります。
 最初は内堀の外側を1周しながらお城と一緒に記念撮影、そして松本神社や再建された太鼓櫓や二の丸御殿跡を見て回り改修中の黒門から入場していよいよ天守閣登城へ。天守に入るまで30分以上の行列でしたが再建天守とは一線を画した現存天守の味わいがあります。狭くて急な階段などは戦に出られぬ者は城に来るなと言わんばかりです。6階まで登ると眺めはさすが、中から外は観覧しにくいですが観光用ではなく実戦用の造りなので当然です。眺めの良さは月見櫓で十分です。そしてお土産購入と市立博物館を見て回り観光終了。
 松本城の立派な柱や梁の数々を見ると現在は他所でお城を再建しようにも材料がおそらく手に入らないだろうと感じます。その昔戦国から江戸時代にかけてお城や門などがしばしば移築されていた理由は材料不足だったのかもしれません。なにせ、当時は木は建築資材であり同時に燃料でもあったわけなので、山は木を切りすぎて裸状態だったとか。現在でも樹齢100年を超える木はそうそうありませんので、名古屋市が木で名古屋城再建をしたいらしいですが、まずは150年計画で材料となる木の植樹から始めた方が良いかもしれません。でもコンクリートの再建天守はまったく味気ないので是非壮大なスケールでやって欲しい。
 お城見物後は駐車場近くでランチ。大手門駐車場のもう一つの良さは町の中心に近いので周辺に食べるところがあってランチに困りません。開智学校に行きたい人には不便でもお城だけを楽しみたい人には大手門駐車場が便利です。
 松本を後にして渋滞の中帰宅し、慌ただしい旅行は終了。松本城見物がメインでプラスアルファだったはずが真田の旅+松本城で忙しくなりましたが、KohNoが満足すればいいかと思いきや、帰宅後はひたすら日本シリーズの話しかしません。せっかく大好きな城巡りのはずなのに〜〜、親はがっかりだよ。

反省点
・鴻巣の小松姫のお墓に行っていない
・別所温泉に行っていない(MaSoniとAKは10年以上前に行ったけどKohNoは行ったことが無い)
・国分寺も行っていない
・砥石城は前回登山したが、米山城などはまだ行っていない
・荒砥城に行けなかった
・川中島滞在時間たったの30分
・松本に行ったのに鈴木鎮一記念館に行っていない

帰宅後のKohNoも「今度は別所温泉に行きたい」だそうです。

2017年11月11日土曜日

再び上田へ その2

  前日は大渋滞と沼田行きで時間がなくなり上田散策を全くできなかったため2日目は上田巡りからのスタートです。まずは上田城の駐車場に車を停め芳泉寺へ徒歩移動。駐車場のおじさんの丁寧な道案内のおかげで迷わず最短距離で到着。前日の正覚寺に続き、ここにも小松姫のお墓があるのでお参り。寺の門には徳川の葵、真田の六連銭、仙石の永楽通宝がでかでかと飾られ壮観なお寺でした。小松姫のお墓はあと一か所、鴻巣にもあるらしいのですが立ち寄らず。片手落ちの感じもしないわけではありませんが、家を出た時は小松姫巡りの予定ではなかったの仕方がありません。
  芳泉寺のあとは上田城の西側を見て回り尼が淵から登ってお城感を楽しみました。真田神社でKohNoがおみくじを引いたところ『我慢して継続すると吉』とのこと、まさにKohNoのためにあるようなおみくじで、本人もさすが神様は全てお見通しと感心していました。東虎口櫓門に行くと甲冑を着せてくれるサービスがあり記念撮影。直後に雨で甲冑サービス終了、ギリギリセーフでした。ついてるね。雨の中お気楽ボーイズというバイオリンとチェロの二人組の演奏をやっていたので楽しみました。これもついてるね。もっとも雨の中で演奏しているおふたりは最悪でしたでしょうけど。バイオリンもチェロもとてもお上手でしたが音楽で食べていくって大変そう。KohNoのバイオリン教室にもとても上手な人がいますが先生は音楽では食べていけないから趣味にとどめておきなさいって。その点KohNoはあまり上手ではなく初めから音楽は趣味以上にはなり得ないので心配ありません。その後櫓に登り、さらに前回スキップした上田市立博物館を見て今回の上田観光は終了。
  さて、上田を出たのが2時過ぎ、これから荒砥城と川中島と松代は無理なので荒砥城を割愛。建物も再現した山城らしいので是非行きたかったのですが仕方がありません。次回のお楽しみにとっておきます。川中島ではKohNoが大はしゃぎして信玄と謙信の一騎討ちの像の前で記念撮影。その後お土産屋さんで風林火山の暖簾を買って大満足。急ぎ松代城跡に移動。KohNoがまだ産まれていない11年前にもMaSoniとAKで行ったけど昔から綺麗に整備されているいいところです。文武学校や真田氏宝物館を見て回り宝物館では再び甲冑を着て記念撮影でKohNoはご満悦。
  これで本日のノルマ終了。車を松本に走らせホテルにチェックイン。夕食は適当に入ったおフランス料理が美味しく大満足。さすがは松本、美味しい場所には事欠きません。誤算は日本シリーズのため寝たのがかなり遅い時間になったこと、明日は早起き断念だと思いながら力尽きて就寝。グ〜〜

2017年11月10日金曜日

再び上田へ その1

  上田にまた行ってきました。前回は真田丸の盛り上がり始めた28年3月。あれから1年半。前回行けなかった場所を巡りに、のつもりではありませんでした。
  実は今回の目的地は松本。松本城に行きたい、地震で熊本城みたいになる前に松本城に登ってみたい、というMaSoniの願望にKohNoとAKもいいね〜と同意して松本旅行を企画しましたが松本は1泊しかホテルが取れず。なら長野あたりで前泊して前回行かなかった松代城に行くのもいいかなと思ったものの長野周囲も全滅、ようやくホテルが取れたのが上田で、予定外の上田行きとなりました。
  予定では1日目上田着、上田散策、上田泊、2日目荒砥城、川中島、松代城経由で松本着泊、3日目松代城観光後帰宅のつもりでしたが、KohNoがいきなり主張を展開。沼田は行かないの?沼田城に行きたい、上田と松代行って沼田に行かなかったら手落ちじゃない?
確かに真田を巡る旅と考えたら沼田城は外せないけど今回は元々は松本城なんだよね、でも沼田はこの機会を逃すと行かないかもしれない、ということで予定変更。出発直前に初日は沼田、上田となりました。
  初日の移動ですが未だかつて見たことのない大渋滞でした。相模原愛川で圏央道乗った直後から渋滞。なんとか八王子ジャンクションを越えて流れるようになったのもつかの間、関越合流手前から合流後も行けども行けども渋滞。群馬県に入ったあたりでようやく渋滞脱出ですが結局沼田まで6時間以上、着いたら3時でした。ようやくたどり着いた沼田城ですが城跡はかなり公園化しており城跡感は今ひとつ。それでも西櫓跡から急な下り坂になっているところはなかなか攻め落とせない城っぽさが感じ取れました。その後正覚寺に行き小松姫のお墓もお参りして上田へ移動。ところで沼田は真田分家が圧政の挙句、幕府の御用も務められずお取り潰しになったところ、真田嫌いかと思いきや街は真田で盛り上げようと必死。寂れている地方は町おこしに使えるものは何でも使っちゃうのね。
  で、上田到着は夜になり観光無し。ま、いいか。
続く